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            | トンネルハンター〜 境界の風景 〜
 
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            | 人は誰しも自分の中にトンネルを内包している。世の中には無数のトンネルがあり、人はたくさんのトンネルを通過していく。 
 ■通過を許す場所
 トンネルは貫通体である。
 トンネルの中央で壁面に囲まれるとき、これは暴力だと思うことがある。ほんの一筋のこの小さなチャネル(軌道)から、いったいどれだけが通過していったのか。
 
 人が通過しただろう、物が通過しただろう、情報が通過しただろう
 愛が通過し、憎しみが通過し、権力が通過した、かもしれない…
 時間が流れ、風が吹きぬけ、音がこだまする
 
 いったいどれだけの通過を許してきたのか。
 
 ■境界の風景
 トンネルは境界である。
 かつて峠は安易な通過を強く拒んできた。峠は挑む対象でもあったが、かわりに風景があった。トンネル開削により挑む必要性が軽減・短縮される一方で、表向き失われたものは、風景である。
 
 トンネル開削の目的は短絡にある。停止を拒み、短絡し、無意識のうちに前へ前へと前進を強いる。それはちょうど“前向き”を美徳とする現代社会と似た構造物・存在のようにも思える。
 
 一見不寛容に思える構造体・場所、硬く冷たく閉鎖性の強いコンクリートの壁面、消失点へとつづく出口に向かう軌道の眺めの中に、トンネルという存在に姿を変えてもなお境界点の風景は確認できるのかどうか。
 
 ■風景、寛容さ
 トンネルの中の風景とは今日的境界の風景であり、風景とは、日ごろ見失いがちな寛容さを取り戻すことができるものである。そうでないものは、ひとつの視界に過ぎない。
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            | トンネルハンターヘモグロビン・ヨウイチ・桐原
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      | ・2007年 □ 「 トンネルハンター 〜 境界の風景 〜」
 ヘモグロビン・ヨウイチ・桐原
 (BIG STONE Gallery,大阪・大阪市)
 写真
 
 
 
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      | □ 「 トンネルハンター 〜 @Kanoya 
        〜」 ヘモグロビン・ヨウイチ・桐原
 (リナシティかのや,鹿児島・鹿屋市)
 写真
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